昭和42年04月07日 夜のご理解
今朝から福岡の渡辺先生がお礼に出て見えました。昨日東京から帰って来て今日のお礼にと見えた訳でございますが、それこそもう本当にびっくりする様な問題の為に、実は東京においでられましたその時にその決してあの驚く事ではない。神様のご都合の中にある事だからどの様な事を目の前に見ろうが聞こうが、驚く事はいらんと云う様な御理解を自分自身丁度椛目にお参りをして来る道すがら電車の中でお知らせを頂かれて。
そんな気持ちでおいでられたんですね。ところがあちらに自分のご長男が行っておられますから、ご長男の事でございましたけれども。それはもう自分が行ったのを境ごろからです。もうお母様もう不思議でたまらんと、嫁さんが云われる程にある事がおかげになっておる訳ですね。それこそそれを見たり聞いたりしたら、もう本当に普通で云うなら、びっくり仰天する様な事だったんです。
ところが、まあお母さんが、こちらへ発つと、東京の方に発つと云うて下さった、その時分からですね、もう大変な広大なおかげを頂いておりますと、こう云う事でございましたが。まあ行かれたついでに、一週間ぐらい居られましたでしょうか。そして帰りの大阪の友人のお家に寄られまして、大変難儀な問題でお導きをして玉水の教会にお導きをして、そしておかげを頂いておられる、関さんと云う方が居られます。
ところがですねもう渡辺先生もうあなたに来て頂いて良かったと云う様な、その難儀な問題がそこの問題の方が例えば丁度息子さんの事で心配しておられた様な問題が、そこのご長男の上に起こっておったんですね。ですから自分の自身の事でおかげ蒙っておられるとこでございますから。実は自分はこう云う様な問題でこうしておかげ頂いた。お取次ぎ頂いて東京にやらして頂いたらこう云うおかげ頂いておったんですよと。
もう実は私が、その事を見たり聞いたりしなければならない様な問題が、お宅に起こっておろうとは思わなかったけれど。私が寄ったという事はおかげですよと言うて、もう一日中そのお道のお話をいや椛目のお話を、自分がおかげ受けた話しを現在合楽の教会が、こうやっておかげを蒙っておる事を、話させて頂いたら、もう大変喜ばれましてね。二人で、玉水の教会にお礼に出られてから、帰って見えられた。
帰りにも、金光で下車を致しましてから。こちらの合楽の事、それから親先生の事、お届けをさして頂きましたら、先生親先生のだけこの様にして、お書き下げを頂いて参りましたと云ってから。お書き下げを頂いて来ておられましたですね。私はお初穂をことずけた訳でもなんでもないんです。けれども兎に角そのこんな訳だと云う事を、お礼を申させて頂きましたら結構でしたと言うて。
大変お喜び下さってそしてお書き下げ下さったと云う訳なんですね。ですからそのほんとに自分自身のそうした、大変な難儀なもう云うなら目の前が真っ黒になる様なです。ほんとにそういう問題だったんですもん。ほんとほんと信心でも頂いとらんなら、もうどうなるだろうかと云う様な問題だったんです。それがいわゆ、怖い事じゃなかった、何でもない様な事であったんだけれどもです。
さあ大阪まで帰って来たところが、自分のお導きしておる友人のご長男が、それと例えば匹敵する様な大変なひょっとすると、もっと大きな問題かも知れませんが、その問題でもうそれこそとたんの悩みと云うか苦しみで終わるところを、渡辺先生が行かれてから、おかげ頂かれたと云う事なんですよ。銘々の事でもそうですねえほんとにあの、こちらの受け心一つでですね。その問題がどの様にでもおかげ頂いて行くんです。
この位の問題はおかげ下さるけれども、こんな問題はもう神様はおかげ下さらんと云う事じゃないのだけれど。この位の問題は一心にお縋がりしておかげ頂くんだけれども。この位な問題になると、神様に一心にお縋がりしきらん任せきらん。そして自分で心配をする訳なんですね。そこんところを渡辺先生なんかはこの度はもう本当に、それは本当に信心が私にもしないならどの様な事になっとったか判らんと云う様な。
その内容がお話出来ない事が残念ですけれどもです。大変な問題でした。あのわくどが仰なかせになって、解剖したと云う様なお知らせを頂かれた、あの事なんですね。あのお知らせを頂かれてから、東京へ向かわれたんです。そしてどの様な事があっても驚いちゃならん、いや神様からこう云うお守りの中にあるのだからと、それこそびくともせん気持ちで行かして頂いたら。
向こうの問題も、自分が福岡から東京へ発つ時からおかげを受けて、「お母様、ほんとに不思議な事がある」と云うて、お嫁さんが喜ばれたと云う事でございますよね。ところがそれに匹敵する様な、また問題が大阪の友人の上にあったけれど。その友人の上にもまた、自分がおかげ受けた事を話させて頂いたら、友人もそうやっておかげを受けておると云う事。ですから本当に信心ちゃ有り難いでしょうがそのへんが。
そこで私はそう云う信心を身につけさせて頂く為には、どう云う信心をさして頂かねばならんかと云うとです。今日宮崎さんのお母さんと、長男の敏郎さんが今日東京の大学に入学致しますので、今日から出立したんです出発しました。今日の四時なんぼでまあここに発たせて頂いたんでしょうが。その前にお願いに出て参りました。でその事を神様にお取次をさせて頂いてから、私は敏郎さん宮崎さん親子に私が申しますんです。
あの敏郎さん東京の大学に行くと云うのはあんた一人じゃない、沢山の人が行きよるんだと、その沢山の人が行きよるのだから、誰でも行く事だから当たり前の事の様に思うところに間違いがあるんだと。教祖の神様は障子一重がままならぬ人の身だと仰るのだから。もう云うたら大変な難しい問題。実を云うたら大変な難儀な問題が、これからもあるんだ実は今日出立つさせて頂くと云う事でも、実は大変な事なんだと。
だから自分の力で行ける事じゃない、自分の事それはあちらへ行ったら親元を離れる淋しさとか、親のそばで甘えておった時の様にはいかん問題は、覚悟の前で行こうけれどもです。そのくらいの問題じゃない問題があってもです。いわゆる障子一重がままならぬ人の身であると云う自覚に立って、もう自分が勉強するに致しましても、寝ろうが起きろうが、神様のおかげを頂かなければ立ち行かないのだと云う思い込みを持って、敏郎さん行かにゃいけんよ。と云うて話したんですけれども。
いやあこの問題は信心の一番難しい最高の、私は御理解であったとこう思うのです。見やすい事なんだけれども、こんなに難しい事はないのです。只今毎日出勤をしておる人がです、それこそどれだけの人がどこどこに出勤しておるか、勤めておるか判らんのです。だあれでも勤めてござるとじゃき、そんなに見やすい事がです。実は見やすい事じゃないて、それが出来ると云う事が不思議でたまらんと云う事なんだと。
そこに只今から東京にやらせて頂きますじゃない。只今からすぐそこにでもやらして頂きますと云う信心が出来なきゃならんのであり、神様のおかげを頂かなければ、実を云うたらここ一寸動かれん私共であり、障子一重向こうが判らぬ私共であると云う所が判らして頂いてです。私はおかげを頂いて行く所の神様の働きの実感と云うものを、そう云うささやかな事にでも感じ取る事の出来る様な、おかげを頂いてです。
初めてそのどの様な事が起こって来ても、驚かんで済むと云うおかげになって来るのじゃなかろうかと。今朝から頂くご理解の様にです。段々おかげ頂いて来ると、もう例えばほんならここの記念祭だと、じゃない春の御大祭に合わせて落成式だと。もう実を云うたらもう皆さんの心の中はです、もう実際はここで本気で打ち込んで信心の稽古をしておるほどしの人ならばです心はてんやわんやです。
又それでなからなければ嘘です。誰かがもうしとるとじゃけど、げな風にかなって行くじゃろうぐらいな事では、椛目に本当に私は、ち込んでいる信者とは思われません。今こそもう寝むったっちゃあの時の事は、この時の事ははぁあげんしてこげんしてと、思うごと気がいわばてんやわんやと、心の中がてんやわんやになるくらいなです、ものがあるのが本当なんです。
けれども今朝の御理解はそう云う様な事では、おかげは受けられないと云う事でした。もういっちょ先の事。その事を昨日でしたもう皆さん帰ったのが、二時でございました、朝の。それからお礼をさせて頂く時に頂くとがです。その自転車にですね、大きな荷物を積んでるんです。しかもあんまり重い荷物ですから、ハンドルが上に上がるごとある荷物です。ところがその荷物を下ろしてです。
一寸ここの坂道のところをこうして行きよる、ところがそのまあだ後ろに荷物を載せとるごたる気持ちでこうやってハンドルば抑えて、押して行きよるところを頂くんです。成る程二年間と云う永い間です。御造営御造営でもうそれこそ一生懸命であった。しかもつい何日か前には、あの奉斎式と云う様な大きなお祭りを仕えさせて頂いた。さあ移転それからこの大祭落成式を迎える為の、様々な準備の為に大童である。
ですからもう大変な重荷をですね。そのまあだ抱えておる様な気がするところへですね。いわば気も転倒せんばかりにそのてんやわんやして、何をどう手を付けて良いやら判らないと云った様な状態が、いわばここに打ち込んでおる人の上にあると云う事でした。だからそう云う人達がです。例えばもうどう云うその、忙しいと云うか、どう云うあれもこれもと思いよる中にでもその真中にドン座ってです。
じっと心を静めてとても人間の知恵力で出来るこっちゃない、神様にお縋がりするより他にないんだと。そして日頃出来なかった信心。そして日頃出来なかった改まりを、改まらして頂いたり信心に打ち込ませて頂くところから、自ずと道が開けて行く。自分の目の前足元の事から一つ一つ解決のおかげ頂くところにです。特別の神様の働きが頂ける様になると云う、昨日のご理解でしたがです。
どういう世の中にあっても、落ち着いて居られるだけの信心を頂かして頂くために、今晩、私が申しました様なところをです判らせて貰うて、本当の事は障子一重がままならぬ人の身である。こうやって動いて居るけれど、こうやって皆さん今晩お参りをしておるけれど、これもだあれでもお参りしとるとじゃけん、誰でも当たり前の事の様な事だけれども実を云うたら、不思議で不思議でたまらん。
今日今晩ここにお引き寄せ頂いておるという事が不思議なんです。これが有り難いのだと云うところにです。自分の心が向かわせて貰うてほんとにお引き寄せ頂いとると云う事にでも有り難い。と同時に私はやはり自分の周囲にね、ほんとに神様の働きちゃもう恐れ入ってしまうなあと、云う様なものを自分の周辺に一杯、ある様なおかげ受けなければならないと思います。
私共一日中ここに座らして貰うて、後はここの仕事場を夜眠れぬ場合は、あっち行ったりこっち行ったりする訳なんですけれども。どこ行き当たってもどこを見てもです、神様の働きと云う事恐れ入ってしまうなあ。庭に下りて見れば庭にお広前に行って見ればお広前に、会議室に行って見れば会議室に客殿に行きゃ客殿に。子供達の部屋へ行けば子供達の部屋に室の所に行って見れば行った風呂に行けば風呂に行ったでです。
もう神様のほんとに手の込んだ微妙な、こう云う所にまでこんな働き下さっておると云う事を思うもんですから。特にここ二、三日私御神前に座ると座った途端に感動を覚えるのです。何を感動するかと云うとあの御神燈ですね。あの御神燈を見るとほんとに只明かりがついておる、お光がついておると云うだけでなくてここまでに、神様が是をお作りに成る迄にどの様な手をかけておるだろうかと云う事です。どの様に神様が心を千々に砕かれたか。どの様な細かい所にお働き下さったかと云う事を思うとです。
もうあれだけで感動せにゃ居られんのです。ですから実を言うとおかげを頂かせて貰うてあれを見てもおかげ、これを見てもおかげと云うおかげを頂かせて貰うてです。その中に自分がいつもあると云う、おかげ頂けば愈々私は心の中に安心が、どの様な大きな問題が起きて来ようが、どの様な忙しい事に直面しようがです。まぁてんやわんやせんですむ。只あすこんところのおかげの頂けて行けれる道が、心からおのずから開けて来る様な、おかげを受けられると云う風に思うですね。
どうぞ。